by Jim Gordon
私たちの中に神が住んでいるという事実を受け入れることは難しいことです。 戒律を守り、良いことをしようと生きていれば、いつか天国へ行き、神と向かい合って暮らせると教えられてきました。
私たちは、集会に行って御霊が現れるとか、神がそこにおられるから特定の場所にいるとかいう話をします。
旧約はキリストにおいて成就され、私たちは今、新約のもとに生きているのです。 旧約はキリストによって成就され、私たちは今、新約のもとに生きています。私たちはもはや十分であろうとする必要はありません。 律法は私たちをキリストに導く家庭教師でしたが、キリストが来られたので、私たちはもはや家庭教師を必要としません。 私たちは律法から解放され、神の霊が今私たちの内に住んでいます。
イエスは私たちの間に住み、神の愛を示すために来られました。 イエスが去られる時、彼は私たちに御霊を送ると言われた。 神は今、私たちの内に住むために来られたのです。 イエスは神の国はあなたがたの内にあると言われました。 私たちは聖霊の神殿であり、キリストの心を持っているのです。
私たちは主要な点を見逃しているように聞こえますが。 私たちは天国へ行き、王国の生活を楽しむために死ぬのを待つ必要はありません。 父と結ばれるのを待つ必要はないのです。 もはや人間のガイド、教師、説教者に頼る必要はないのです。
他の人の話を聞き、その考えやアイデアを得て、他の信者から励まされることは悪いことではありませんが、他の人間に頼る必要はないのです。 私たちの内には御霊がおられ、私たちを教え、私たちのために持っておられる道に導いてくださるのです。 私たちは内側に思いを向け、御霊が私たちの内側におられ、耳を傾け、愛し、私たちが内面から御声を聞き始めると、教えてくださる用意があることを理解することができます。 私たちは誰もすべてを理解しているわけではないことを思い出す必要があります。 私たちはしばしば、自分がまだ完成に至っていないことに気づかず、現在持っている理解から戦ったり、議論したりしたがります。
私たちは、現在知っていること、信じていることが、もう少し先には違っている可能性が高いことを認識しながら、現在いる場所でお互いを受け入れるようになるべきです。 イエスが私たちをありのままに愛し、受け入れてくださるように、私たちは互いに愛し合い、互いに学び、ありのままを受け入れることができます。 私たちは他人や、訓練され、教育され、あるいはお金をもらっているからより霊的だと思う人にすべての望みを託してはならないのです。 私たちは皆、王であり祭司であり、同じ御霊を内に持っていることを忘れないでください。 私たち一人ひとりは、キリストを頭とするからだの中の平等で重要な部分なのです。
これは、私たちが神であると言っているのではなく、御霊が私たちの内に住んでおられ、私たちは父と一つであると言っているのです。 それは私たちが死んだ後の未来の出来事だと教えられたことよりも、むしろこの事実に焦点を当て始めることが、私たち皆のためになるでしょう。 王国の生活は今なのです。 御霊に耳を傾け、御霊に教えられ、御父との交わりの中で日々を生きることは、私たち全員が実現しなければならない現実なのです。