兄弟が一致して共に生きるという話題は、カルバリーに向かう直前のキリストの大祭司の祈りの一部であった。 7352>
また、ダビデ王はその短い賛美の中で、喜び、感謝と共に信仰によって心の中で歌うのを発見する:兄弟が調和して共に住むとき、それはどんなに良く、楽しいことだろう。兄弟が仲良く暮らすことは、何と素晴らしく、楽しいことであろうか。それは魂を清め、主に向かって昇る甘い香りとなり、主の聖なる御名を讃えるからだ」
これはイスラエルがエルサレムへの巡礼を進めるとき、喜びを胸に主に向かって歌う昇神の歌の一つであった。
私たちも天の故郷に向かって行進しているが、主が私たちをご自分のもとに連れて行かれるその日に向けての一歩一歩は、キリストの兄弟姉妹と一緒に、恵み深い調和と神々しい一致をもって生きる日であるべきである。 しかし、キリストの体においては、私たちの信仰の本質的な基礎についての真の精神の一体性があるべきであり、一方、より小さな、従属的な問題は、不意な不和、不統一、分裂を引き起こしてはならないのである。 7352>
私たちのすべての取引には、一致と愛の神的精神がなければならない。 それは、私たちのいのちであるキリストの内住の御霊からだけ来る忍耐強い、親切な、恵み深い愛でなければならない-それは、キリストのうちに私たちの魂はリフレッシュされ、他の人々を啓発するために備えられ、それが天の父をほめたたえるからである
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