リービッヒとヴェーラーは1832年にベンゾイン樹脂(安息香酸)の研究から、アーモンド油(ベンズアルデヒド)、「ベンゾエストフ」(ベンジルアルコール)、塩化ベンゾイルおよびベンズアミドという化合物に共通のC7H5Oフラグメントがあり、これらはいずれもアーモンド油から単純置換によって合成されうることを発見した。 このC7H5Oフラグメントを「安息香酸のラジカル」とみなし、ベンゾイルと呼んだ。 こうして有機ラジカルは、無機元素と同じレベルに位置づけられることになった。 無機元素(単純ラジカル)と同じように、有機ラジカル(化合物ラジカル)も分割できないものであった。 この理論は、リービッヒによる元素分析の改良によって発展したものである。 ローランは、1835年にベンゾイルそのものの単離を報告して理論に貢献したが、単離された化学物質は、今日ではその二量体であるジベンゾイルと認識されている。 ラファエレ・ピリアは、サリチル酸の基となるサリチルラジカルを報告した。 リービッヒは1838年にラジカルの定義を発表した

ベルゼリウスとロバート・ブンセンは1841年頃にラジカル・カコジルの研究(塩化カコジルと亜鉛の反応)を行い、現在は2量体の(CH3)2As-As(CH3)2として知られている。 エドワード・フランクランドとヘルマン・コルベは、エチルラジカルとメチルラジカルを研究し、ラジカル理論に貢献した。 フランクランドは1848年にジエチル亜鉛を初めて報告した。 フランクランドとコルベは、1849年にシアン化エチルと亜鉛の反応を調べ、エチルラジカルではなく、メチルラジカル (CH3) を分離し、それが実はエタンであることを報告している。 コルベはまた、いくつかの脂肪酸のカリウム塩の電気分解を研究している。 酢酸は、メチルラジカルとシュウ酸の組み合わせと考えられ、この塩の電気分解によって、解放されたメチルラジカルと誤認されたエタンが再びガスとして得られた。1850年にフランクランドがエチルラジカルを調査した。 この研究の過程で、ヨウ化エチルと亜鉛の反応によって生成したブタンが、誤ってエチルラジカルと同定された

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